2008年11月7日金曜日

百三十四

 津田にはこの誤解を誤解として通しておく特別な理由があった。そうしてその理由はすでに小林の看破《かんぱ》した通りであった。だから彼はこの誤解から生じやすい岡本の好意を、できるだけ自分の便宜《べんぎ》になるように保留しようと試みた。お延を鄭寧《ていねい》に取扱うのは、つまり岡本家の機嫌《きげん》を取るのと同じ事で、その岡本と吉川とは、兄弟同様に親しい間柄である以上、彼の未来は、お延を大事にすればするほど確かになって来る道理であった。利害の論理《ロジック》に抜目のない機敏さを誇りとする彼は、吉川夫妻が表向《おもてむき》の媒妁人《ばいしゃくにん》として、自分達二人の結婚に関係してくれた事実を、単なる名誉として喜こぶほどの馬鹿ではなかった。彼はそこに名誉以外の重大な意味を認めたのである。
 しかしこれはむしろ一般的の内情に過ぎなかった。もう一皮|剥《む》いて奥へ入ると、底にはまだ底があった。津田と吉川夫人とは、事件がここへ来るまでに、他人の関知しない因果《いんが》でもう結びつけられていた。彼らにだけ特有な内外の曲折を経過して来た彼らは、他人より少し複雑な眼をもって、半年前に成立したこの新らしい関係を眺めなければならなかった。
 有体《ありてい》にいうと、お延と結婚する前の津田は一人の女を愛していた。そうしてその女を愛させるように仕向けたものは吉川夫人であった。世話好な夫人は、この若い二人を喰っつけるような、また引き離すような閑手段《かんしゅだん》を縦《ほしい》ままに弄《ろう》して、そのたびにまごまごしたり、または逆《のぼ》せ上《あが》ったりする二人を眼の前に見て楽しんだ。けれども津田は固く夫人の親切を信じて疑がわなかった。夫人も最後に来《きた》るべき二人の運命を断言して憚《はば》からなかった。のみならず時機の熟したところを見計って、二人を永久に握手させようと企てた。ところがいざという間際になって、夫人の自信はみごとに鼻柱を挫《くじ》かれた。津田の高慢も助かるはずはなかった。夫人の自信と共に一棒に撲殺《ぼくさつ》された。肝心《かんじん》の鳥はふいと逃げたぎり、ついに夫人の手に戻って来なかった。
 夫人は津田を責めた。津田は夫人を責めた。夫人は責任を感じた。しかし津田は感じなかった。彼は今日《きょう》までその意味が解らずに、まだ五里霧中に彷徨《ほうこう》していた。そこへお延の結婚問題が起った。夫人は再び第二の恋愛事件に関係すべく立ち上った。そうして夫と共に、表向《おもてむき》の媒妁人として、綺麗《きれい》な段落をそこへつけた。
 その時の夫人の様子を細《こま》かに観察した津田はなるほどと思った。
「おれに対する賠償《ばいしょう》の心持だな」
 彼はこう考えた。彼は未来の方針を大体の上においてこの心持から割り出そうとした。お延と仲善《なかよ》く暮す事は、夫人に対する義務の一端だと思い込んだ。喧嘩《けんか》さえしなければ、自分の未来に間違はあるまいという鑑定さえ下した。
 こういう心得に万《ばん》遺※[#「竹かんむり/弄」、第3水準1-89-64]《いさん》のあるはずはないと初手《しょて》からきめてかかって吉川夫人に対している津田が、たとい遠廻しにでもお延を非難する相手の匂《にお》いを嗅《か》ぎ出した以上、おやと思うのは当然であった。彼は夫人に気に入るように自分の立場を改める前に、まず確かめる必要があった。
「私がお延を大事にし過ぎるのが悪いとおっしゃるほかに、お延自身に何か欠点でもあるなら、御遠慮なく忠告していただきたいと思います」
「実はそれで上ったのよ、今日は」
 この言葉を聴《き》いた時、津田の胸は夫人の口から何が出て来るかの好奇心に充《み》ちた。夫人は語を継《つ》いだ。
「これは私《あたし》でないと面《めん》と向って誰もあなたに云えない事だと思うから云いますがね。――お秀さんに智慧《ちえ》をつけられて来たと思っては困りますよ。また後でお秀さんに迷惑をかけるようだと、私がすまない事になるんだから、よござんすか。そりゃお秀さんもその事でわざわざ来たには違《ちがい》ないのよ。しかし主意は少し違うんです。お秀さんは重《おも》に京都の方を心配しているの。無論京都はあなたから云えばお父さんだから、けっして疎略にはできますまい。ことに良人《うち》でもああしてお父さんにあなたの世話を頼まれていて見ると、黙って放《ほう》ってもおく訳にも行かないでしょう。けれどもね、つまりそっちは枝で、根は別にあるんだから、私は根から先へ療治した方が遥《はる》かに有効だと思うんです。でないと今度《こんだ》のような行違《いきちがい》がまたきっと出て来ますよ。ただ出て来るだけならよござんすけれども、そのたんびにお秀さんがやって来るようだと、私も口を利《き》くのに骨が折れるだけですからね」
 夫人のいう禍《わざわい》の根というのはたしかにお延の事に違なかった。ではその根をどうして療治しようというのか。肉体上の病気でもない以上、離別か別居を除いて療治という言葉はたやすく使えるものでもないのにと津田は考えた。

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