2008年11月12日水曜日

六十六

 お延から見た継子は特殊の地位を占めていた。こちらの利害を心にかけてくれるという点において、彼女は叔母に及ばなかった。自分と気が合うという意味では叔父よりもずっと縁が遠かった。その代り血統上の親和力や、異性に基《もとづ》く牽引性《けんいんせい》以外に、年齢の相似から来る有利な接触面をもっていた。
 若い女の心を共通に動かすいろいろな問題の前に立って、興味に充《み》ちた眼を見張る時、自然の勢として、彼女は叔父よりも叔母よりも、継子に近づかなければならなかった。そうしてその場合における彼女は、天分から云って、いつでも継子の優者であった。経験から推せば、もちろん継子の先輩に違なかった。少なくともそういう人として、継子から一段上に見られているという事を、彼女はよく承知していた。
 この小さい嘆美者には、お延のいうすべてを何でも真《ま》に受ける癖があった。お延の自覚から云えば、一つ家に寝起《ねおき》を共にしている長い間に、自分の優越を示す浮誇《ふこ》の心から、柔軟性《じゅうなんせい》に富んだこの従妹《いとこ》を、いつの間にかそう育て上げてしまったのである。
「女は一目見て男を見抜かなければいけない」
 彼女はかつてこんな事を云って、無邪気な継子を驚ろかせた。彼女はまた充分それをやり終《おお》せるだけの活きた眼力《がんりき》を自分に具えているものとして継子に対した。そうして相手の驚きが、羨《うらや》みから嘆賞に変って、しまいに崇拝の間際《まぎわ》まで近づいた時、偶然彼女の自信を実現すべき、津田と彼女との間に起った相思の恋愛事件が、あたかも神秘の※[#「(諂-言)+炎」、第3水準1-87-64]《ほのお》のごとく、継子の前に燃え上った。彼女の言葉は継子にとってついに永久の真理その物になった。一般の世間に向って得意であった彼女は、とくに継子に向って得意でなければならなかった。
 お延の見た通りの津田が、すぐ継子に伝えられた。日常接触の機会を自分自身にもっていない継子は、わが眼わが耳の範囲外に食《は》み出《だ》している未知の部分を、すべて彼女から与えられた間接の知識で補なって、容易に津田という理想的な全体を造り上げた。
 結婚後半年以上を経過した今のお延の津田に対する考えは変っていた。けれども継子の彼に対する考えは毫《ごう》も変らなかった。彼女は飽《あ》くまでもお延を信じていた。お延も今更前言を取り消すような女ではなかった。どこまでも先見の明によって、天の幸福を享《う》ける事のできた少数の果報者として、継子の前に自分を標榜《ひょうぼう》していた。
 過去から持ち越したこういう二人の関係を、余儀なく記憶の舞台に躍《おど》らせて、この事件の前に坐らなければならなくなったお延は、辛《つら》いよりもむしろ快よくなかった。それは皆《み》んなが寄ってたかって、今まで糊塗《こと》して来た自分の弱点を、早く自白しろと間接に責めるように思えたからである。こっちの「我《が》」以上に相手が意地の悪い事をするように見えたからである。
「自分の過失に対しては、自分が苦しみさえすればそれでたくさんだ」
 彼女の腹の中には、平生から貯蔵してあるこういう弁解があった。けれどもそれは何事も知らない叔父や叔母や継子に向って叩《たた》きつける事のできないものであった。もし叩きつけるとすれば、彼ら三人を無心に使嗾《しそう》して、自分に当擦《あてこす》りをやらせる天に向ってするよりほかに仕方がなかった。
 膳《ぜん》を引かせて、叔母の新らしく淹《い》れて来た茶をがぶがぶ飲み始めた叔父は、お延の心にこんな交《こ》み入《い》った蟠《わだか》まりが蜿蜒《うねく》っていようと思うはずがなかった。造りたての平庭《ひらにわ》を見渡しながら、晴々《せいせい》した顔つきで、叔母と二言三言、自分の考案になった樹《き》や石の配置について批評しあった。
「来年はあの松の横の所へ楓《かえで》を一本植えようと思うんだ。何だかここから見ると、あすこだけ穴が開《あ》いてるようでおかしいからね」
 お延は何の気なしに叔父の指《さ》している見当《けんとう》を見た。隣家《となり》と地続《じつづ》きになっている塀際《へいぎわ》の土をわざと高く盛り上げて、そこへ小さな孟宗藪《もうそうやぶ》をこんもり繁《しげ》らした根の辺《あたり》が、叔父のいう通り疎《まば》らに隙《す》いていた。先刻《さっき》から問題を変えよう変えようと思って、暗《あん》に機会を待っていた彼女は、すぐ気転を利《き》かした。
「本当ね。あすこを塞《ふさ》がないと、さもさも藪《やぶ》を拵《こしら》えましたって云うようで変ね」
 談話は彼女の予期した通りよその溝へ流れ込んだ。しかしそれが再びもとの道へ戻って来た時は、前より急な傾斜面を通らなければならなかった。

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