2008年11月13日木曜日

四十八

 そこから見渡した外部《そと》の光景も場所柄《ばしょがら》だけに賑《にぎ》わっていた。裏へ貫《ぬき》を打って取《と》り除《はず》しのできるように拵《こし》らえた透《すか》しの板敷を、絶間なく知らない人が往ったり来たりした。廊下の端《はじ》に立って、半《なか》ば柱に身を靠《も》たせたお延が、継子の姿を見出《みいだ》すまでには多少の時間がかかった。それを向う側に並んでいる売店の前に認めた時、彼女はすぐ下へ降りた。そうして軽く足早に板敷を踏んで、目指《めざ》す人のいる方へ渡った。
「何を買ってるの」
 後《うしろ》から覗《のぞ》き込むようにして訊《き》いたお延の顔と、驚ろいてふり返った継子の顔とが、ほとんど擦《す》れ擦れになって、微笑《ほほえ》み合った。
「今困ってるところなのよ。一《はじめ》さんが何かお土産《みやげ》を買ってくれって云うから、見ているんだけれども、あいにく何《なん》にもないのよ、あの人の喜びそうなものは」
 疳違《かんちが》いをして、男の子の玩具《おもちゃ》を買おうとした継子は、それからそれへといろいろなものを並べられて、買うには買われず、止《よ》すには止されず、弱っているところであった。役者に縁故のある紋《もん》などを着けた花簪《はなかんざし》だの、紙入だの、手拭《てぬぐい》だのの前に立って、もじもじしていた彼女は、どうしたらよかろうという訴えの眼をお延に向けた。お延はすぐ口を利《き》いてやった。
「駄目よ、あの子は、拳銃《ピストル》とか木剣《ぼっけん》とか、人殺しのできそうなものでなくっちゃ気に入らないんだから。そんな物こんな粋《いき》な所にあろうはずがないわ」
 売店の男は笑い出した。お延はそれを機《しお》に年下の女の手を取った。
「とにかく叔母さんに訊いてからになさいよ。――どうもお気の毒さま、じゃいずれまた後《のち》ほど」
 こう云ったなりさっさと歩き出した彼女は、気の毒そうにしている継子を、廊下の端《はじ》まで引張るようにして連れて来た。そこでとまった二人は、また一本の軒柱《のきばしら》を盾《たて》に立話をした。
「叔父さんはどうなすったの。今日はなぜいらっしゃらないの」
「来るのよ、今に」
 お延は意外に思った。四人でさえ窮屈なところへ、あの大きな男が割り込んで来るのはたしかに一事件《ひとじけん》であった。
「あの上叔父さんに来られちゃ、あたし見たいに薄っぺらなものは、圧《お》されてへしゃげちまうわ」
「百合子さんと入れ代るのよ」
「どうして」
「どうしてでもその方が都合が好いんでしょう。百合子さんはいてもいなくっても構わないんだから」
「そう。じゃもし、由雄が病気でなくって、あたしといっしょに来たらどうするの」
「その時はその時で、またどうかするつもりなんでしょう。もう一間《いっけん》取るとか、それでなければ、吉川さんの方といっしょになるとか」
「吉川さんとも前から約束があったの?」
「ええ」
 継子はその後を云わなかった。岡本と吉川の家庭がそれほど接近しているとも考えていなかったお延は、そこに何か意味があるのではないかと、ちょっと不審を打って見たが、時間に余裕のある人の間に起りがちな、単に娯楽のための約束として、それを眺める余地も充分あるので、彼女はついに何にも訊《き》かなかった。二人の話はただ吉川夫人の双眼鏡に触れただけであった。お延はわざと手真似《てまね》までして見せた。
「こうやって真《ま》ともに向けるんだから、敵《かな》わないわね」
「ずいぶん無遠慮でしょう。だけど、あれ西洋風なんだって、宅《うち》のお父さまがそうおっしゃってよ」
「あら西洋じゃ構わないの。じゃあたしの方でも奥さんの顔をああやってつけつけ見ても好い訳ね。あたし見て上げようかしら」
「見て御覧なさい、きっと嬉《うれ》しがってよ。延子さんはハイカラだって」
 二人が声を出して笑い合っている傍《そば》に、どこからか来た一人の若い男がちょっと立ちどまった。無地の羽織に友縫《ともぬい》の紋《もん》を付けて、セルの行灯袴《あんどんばかま》を穿《は》いたその青年紳士は、彼らと顔を見合せるや否や、「失礼」と挨拶《あいさつ》でもして通り過ぎるように、鄭重《ていちょう》な態度を無言のうちに示して、板敷へ下りて向うへ行った。継子は赧《あか》くなった。
「もう這入《はい》りましょうよ」
 彼女はすぐお延を促《うな》がして内へ入った。

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